















大人は判ってくれない シナリオブック
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『大人は判ってくれない』シナリオブック
フランソワ・トリュフォー
山田宏一 訳
ペーパーバック判(172mm × 112mm)
82ページ
「先生、実は母が……死にました」
やさぐれ少年がその場しのぎで吐いた嘘の、大き過ぎる代償。
そして、疾走――ゆけゆけアントワーヌどこまでも!
1959年パリ。映画青年トリュフォーが、自身の不良少年時代をモチーフに撮った作品『大人は判ってくれない』が、世界中の映画を一変させた!
今をときめくグザヴィエ・ドランが長編第一作『マイ・マザー』で、巨匠スティーヴン・スピルバーグが学生時代の作品でオマージュを捧げた、ヌーヴェル・ヴァーグ作品の金字塔。
観る者をナイーヴな童心に帰し、魅了してやまない、優しくて力強い傑作青春映画だ。
そんな本作の魅力を “言葉" から味わう一冊。
目次
映画と人生が出会うとき(山田宏一書き下ろしエッセイ)
『大人は判ってくれない』シナリオ採録
スタッフ・キャスト
タイトル
・学校のアントワーヌ
・アントワーヌの家
・道草
・ウソつきアントワーヌ
・家出
・操行ゼロ
・バルザック
・タイプライター泥棒
・少年鑑別所
・脱出
音楽がアントワーヌに寄り添い続けるわけ(世武裕子インタビュー)
名所巡礼アドレス帳 in Paris
出版社からのコメント
『大人は判ってくれない』は、ロッセリーニの『戦火のかなた』以来もっとも感動した映画です。これを見てほかの映画を見るのがいやになり、見るたびにこの映画を思いだしました。
――植草甚一(評論家)
(日本初公開時のプレスブックより)
我がフランソワ君/君の映画は傑作だ/奇跡のようなものだ/親愛のキスを送る
――ジャン・コクトー(芸術家)
(トリュフォーに送った讃辞より)
この映画に出会い、生まれて初めて恋に落ちた。お返しに愛されたとも感じた。というのも、物語の中で描かれていたのはほとんど、僕自身の子ども時代のことだったから(もちろん微妙な誤差はあるけれど)。「いったい自分の家のどこに隠しカメラが仕込まれていたんだろう」と思ったのは、僕だけじゃないはずだ。
――グザヴィエ・ドラン(映画監督)
(映像ソフトレーベル・クライテリオンのウェブサイト内記事「Xavier Dolan's Top 10」より)
これは率直に自分自身を、彼の少年時代を語ろうとした人の作品である。彼の告白は、専門家のシナリオライター達が豊富な想像力を駆使して作りあげるドラマの何千倍もの感動を与える。
――『ル・モンド』紙
ここにはすぐれた趣味と知性と本物の映画技術を駆使した映画芸術の真髄がある。トリュフォーは名子役ジャン=ピエール・レオーを得て “ヌーヴェル・ヴァーグ" のひとつの特色となっている鋭利さをその演技に生かしている。これはフランス映画の将来をになう希望に満ちた波だ。
――『ニューヨーク・タイムズ』紙
カンヌ国際映画祭最優秀監督賞、OCIC賞/ベルギー映画フェミナ賞/ニューヨーク映画批評家協会賞最優秀外国語映画賞/バリャドリッド国際映画祭ゴールデン・スパイク賞/米・アカデミー賞脚本賞ノミネート
著者について
フランソワ・トリュフォー François Truffaut
映画監督。1932年、パリ生まれ。父は不明で里子に出されたのち、33年に母が結婚。おもに母方の祖母に育てられ、10歳から両親と同居。16歳のとき、シネクラブ「映画中毒者集会」を設立。のちに自身の “精神的父親" となる、映画批評家のアンドレ・バザンと知り合う。失恋がきっかけで軍隊に入るも脱走し、軍刑務所付属の精神病院に収容される。バザンの力添えで除隊を認められ、彼の推薦で53年から『カイエ・デュ・シネマ』誌などに映画批評を執筆。59年に長編第一作『大人は判ってくれない』を完成させ、ヌーヴェル・ヴァーグの旗手として一躍注目を集めた。同作主人公のその後を描いた続編として『アントワーヌとコレット』(62/オムニバス映画『二十歳の恋』に収録された短編)、『夜霧の恋人たち』(68)、『家庭』(70)、『逃げ去る恋』(78)があり、まとめて「アントワーヌ・ドワネルの冒険」シリーズと呼ばれている。その他の代表作に『あこがれ』(57/短編)、『ピアニストを撃て』(60)、『突然炎のごとく』(61)、『華氏451』(66)、『恋のエチュード』(71)など。84年にパリ近郊ヌイイ=シュル=セーヌにて、悪性脳腫瘍のため死去。
マルセル・ムーシー Marcel Moussy
脚本家、映画・テレビドラマ監督、作家。1924年、アルジェ生まれ。テレビドラマの脚本でトリュフォーから注目され、『大人は判ってくれない』の脚色・台詞執筆の依頼を受ける。トリュフォーの次作『ピアニストを撃て』にも着手したが、リアリズムに固執するムーシーとトリュフォーの意見が合わず、ムーシーは途中で降りた。99年、カーンにて死去。映画監督作に『赤と青のブルース』(60)、『Trois hommes sur un cheval』(69/日本未公開)。またルネ・クレマン監督『パリは燃えているか』(66)のフランス語追加台詞、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督『囚われの女』(68)の共同脚本も手掛けた。
山田宏一〈やまだこういち〉
映画評論家。1938年、ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語科卒業。64~67年、パリ在住。その間『カイエ・デュ・シネマ』誌同人。著書に『増補 友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』『増補 トリュフォー、ある映画的人生』『フランソワ・トリュフォー映画読本』『フランソワ・トリュフォーの映画誌』『トリュフォーの手紙』『トリュフォー 最後のインタビュー』(蓮實重彦との共著)など。訳書に『ある映画の物語』『子供たちの時間』(ともにトリュフォー著)『トリュフォーによるトリュフォー』など。写真集に『NOUVELLE VAGUE』。87年、フランスの芸術文化勲章シュバリエ受勲。91年、第1回 Bunkamura ドゥマゴ文学賞(『トリュフォー、ある映画的人生』)。2007年、第5回文化庁映画賞(映画功労表彰部門)。17年、第35回川喜多賞受賞。
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