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姓がおなじ人 極私的大竹伸朗論
¥1,100
『姓がおなじ人 極私的大竹伸朗論』 大竹昭子 文庫判 (105mm × 148mm)、並製、カバー無し 72ページ 表紙:大竹伸朗+大竹彩子(花キック)2023年 画家・大竹伸朗について、大竹昭子が書き下ろし。伸朗氏との対談、伸朗氏祖母「井上てる女」(俳号)の貴重なエッセイも収録。 目次 05 はじめに 11 随想 姓がおなじ人 極私的大竹伸朗論 大竹昭子 51 オフトーク 大竹伸朗 × 大竹昭子 69 エッセイ 二十年 井上てる女(大竹伸朗 祖母)
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絵にしかできない
¥1,100
『絵にしかできない』 諏訪敦 / 大竹昭子 判型 文庫版(105 × 148mm)、並製、カバー無し 頁数 88ページ 発行所 カタリココ文庫 編集協力 大野陽子、綾女欣伸、大林えり子(ポポタム) 装幀 横山 雄 表紙・図版 諏訪 敦 カタリココ文庫10号は画家、諏訪敦と大竹昭子による対談『絵にしかできない』をお届けいたします。諏訪敦は緻密な描法で知られ、制作には尋常ではないエネルギー、技術、パッションは注ぎ込まれます。 一見写真かと思うようですが、深く探っていくと写真とは大きな隔たりがあるのがわかります。「写真みたい」という一言で片づけてしまうと決して見えてこない深淵が、そこには横たわっているのです。 スペイン留学を機に日本人の身体が気になってはじめた舞踏家の大野一雄・慶人のシリーズ、父の遺体を描くことで互いの関係を見つめ、死の存在を問うた<father>、満蒙開拓団として大陸に渡った祖父母の足跡を調査して描いた<棄民>シリーズなど、彼の創作は詳細な取材を通して自分の足下を深く掘り下げることからスタートします。その過程はまるで文学者のようです。 本号では2019年9月のトークと朗読会<カタリココ>と、彼のアトリエでおこなったつづきの対談を収録し、巻末には彼の活動歴を示す詳細な年譜を載せました。美術家の図録には年譜がないことが多いので、本号でそれが実現できたのを嬉しく思います。 2022年12月17日から東京・府中市立美術館で諏訪敦「眼窩裏の火事」展が開催されます。この小さな本が諏訪敦というたぐいまれな画家を理解する一助になればさいわいです。 また本号はカタリココ文庫第10号にあたり、2019年にはじまって以来、文学・写真、絵画・美術とジャンルを越えて刊行してきた本シリーズの第1期が完了します。これを記念して特典ペーパー『大竹昭子が語る、横断的思考のススメ』をつくりました。お買い上げの方に先着順で差し上げます。
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福田尚代「美術と回文のひみつ」
¥880
『福田尚代「美術と回文のひみつ」』 福田尚代 / 大竹昭子 文庫サイズ(105mm × 148mm) ホッチキス綴じ 28ページ 装幀 澤地真由美 カタリココ文庫はこの本からはじまりました。 美術家・回文作家の福田尚代の摩訶不思議な世界の成り立ちを聞き出した貴重なインタビュー集です。 中とじの薄手のものですが、中身は濃厚。 福田尚代の回文シートが付録でつきます(額に入れて飾りたいような立派なものです!)。
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見えているパチリ!
¥1,100
SOLD OUT
『見えているパチリ!』 畠山直哉 / 大竹昭子 文庫版(105mm × 148mm) 並製、カバー無し 85ページ 発行所 カタリココ文庫 編集協力 大野陽子、大林えり子(ポポタム) 装幀 横山 雄+大橋悠治(BOOTLEG) 装画・写真 畠山直哉 カタリココ文庫8号は、写真家・畠山直哉と文筆家・大竹昭子による『見えている パチリ!』をお届けいたします。 畠山直哉は陸前高田にあった実家が東日本大震災の大津波で流され、母を亡くして以来、故郷に通って撮影してきました。しかし、パンデミックという「新たな出来事」がそれに重なり、帰郷がままならなくなります。 ふるさとが遠のいていくような不安、自分の言動に慎重にならざるを得ないような風潮、倫理観に縛られて直感的に行動できなくなっている状況、結果を性急に求めすぎる傾向……。シームレスにつながっていく彼の懸念は、私たちが日々感じながらも深くは考えない事柄を明らかにします。 かつて畠山と大竹は大震災の直後に数回にわたって対話を行ない『出来事と写真』(赤々舎)を出しました。本書はその続編とも言えるもので、ふたりが本書のために新たにおこなった対談と、畠山のエッセイ「心の陸前高田」(初出『新潮』2021年4月号)が収録されています。私たちが日々抱いているもやもやした感情に光を当て、考えを深めるきっかけを与えてくれる一冊となることを願っています!
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噓がつけない人
¥990
『噓がつけない人』小山田浩子+大竹昭子 対談と掌篇 小山田浩子 / 大竹昭子 文庫版(105mm × 148mm) 並製、カバー無し 88ページ 発行所 カタリココ文庫 編集協力 大野陽子、大林えり子(ポポタム) 装幀 横山 雄+大橋悠治(BOOTLEG) 装画 Philippe Weisbecker special thanks 吉田宏子(888ブックス)、Bureau Kida SAS、Benjamin Sommerhalder(Nieves) 『嘘がつけない人』は、小山田浩子と大竹昭子による対談と、両者が書き下ろした二篇の掌篇、「骨董」と「裏焼き」を収めたこれまでにないスタイルのカタリココ文庫です。 小山田の小説作品に描かれているのはごく日常的な光景ですが、読み進むうちにあたかも風景を構成するピースが置き換わり異次元に侵入していくような感覚に引き込まれます。 既知の世界を未知のものに誘導していくのは、全体を俯瞰せずに対象に密着して描いていく改行のほとんどない独特の文体です。 改行しないのではなくて、出来ないのだ、と小山田は述べます。 ふつうに考えたら簡単なはずの改行を入れることがなぜ困難なのか。小山田作品の核心はここにあります。対談ではその謎を幼少期の記憶を遡りながら解いていきます。 文章を書く行為は、なにを描いて、なにを描かないかを選ぶことにより成り立っていますが、この選択を彼女がいかに誠実に、厳密におこなっているかが読み進むにつれて明らかになるでしょう。 掌篇の「骨董」と「裏焼き」は一枚の写真を手がかりにそれぞれが書き下ろしました。 打ち合わせをせずに自由に創作しましたが、二篇とも写っている人物についての物語ではなく、写真という存在そのものに想念をはせる内容になったことを興味深く思います。 このように、同じ写真を見てふたりの作家が作品を書き下ろすというのは、あまり例のない試みです。 掌篇パートの冒頭にその写真が載っていますので、写真と掌篇がどのように関わっているかをお楽しみください。 なお表紙に使われている装画は、小山田のこれまでの作品集と同様にフィリップ・ワイズベッカーの作品を使わせていただきました。 また『嘘がつけない人』というタイトルの由来も本書のなかに見つかります。 小山田作品のファンにとってはもちろんのこと、これから彼女の作品に出会う人々にとっても、本書がその作品世界により深く降りていく吸引力となることを願ってやみません。
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絵のうら側に言葉の糸をとおす
¥1,100
『絵のうら側に言葉の糸をとおす』 鴻池朋子 聞き手・大竹昭子+堀江敏幸 文庫版(105mm × 148mm) 並製、カバー無し 53ページ 発行所 カタリココ文庫 編集協力 大林えり子(ポポタム) 装幀 横山 雄+大橋悠治(BOOTLEG) 表紙・図版 鴻池朋子
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五感巡礼
¥990
『五感巡礼』大竹昭子短文集 大竹昭子 文庫版(105mm × 148mm) 並製、カバー無し 95ページ 発行所 カタリココ文庫 編集協力 大林えり子(ポポタム) 装幀 横山 雄(BOOTLEG) 装画 工藤夏海 ひとつのエピソードが思わぬ方向に発展し、五感を巡礼していく、五つの随想が収められています。 自分は「犬派」だと思っていたが、本質は「猫」かもしれないと気づいた「放浪の効用」、一度聴力を失った女性が体内の音に耳を澄ませて鼓膜を再生させたエピソードが心に残る「聞こえてくるあの音は?」、シマの概念をできる限り拡大して考えを巡らす「シマの境界」、植物の種のように拡散することばの生命力を讃えた「ことばの飛び地」、写真との出会いが自意識の殻を脱ぎ捨てる作用を及ぼした「『わたし』のなかのたくさんの『他人』」。それぞれのエピソードに潜むエキスを抽出しながら、思索の輪を広げていきます。 自分の書くものは一言で説明するのがむずかしい、と著者は言いますが、たしかにこれまでのカタリココ文庫のラインナップを見ても写真、美術、漫画とさまざまな表現ジャンルが取上げられてきました。『五感巡礼』は、そのような著者の物事への関心の持ち方が明らかになる1冊と言えるでしょう。 初出は日本経済新聞「プロムナード」欄で、半年間連載したエッセイを5つの項目に分けて、それぞれのエピソードがつながるように改稿しました。 ジャンルが細分化し、思考のタコツボ化が進んでいるいま、『五感巡礼』は、現実世界を旅するようにアタマのなかを巡って、凝り固まりがちな思考を柔らかくマッサージしてくれることでしょう! <目次> 1章 放浪の効用 2章 聞こえてくるあの音は? 3章 シマの境界 4章 ことばの飛び地 5章 「わたし」のなかのたくさんの「他人」
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室内室外 しつないしつがい
¥990
『室内室外 しつないしつがい』大竹昭子 短文集 大竹昭子 文庫版、80ページ 発行所 カタリココ文庫 編集協力 大林えり子(ポポタム) 装幀 横山雄(BOOTLEG) 表紙・挿画 工藤夏海 著者の大竹昭子は、自作の間取りから物語をつむいだ『間取りと妄想』の著作で知られるように、空間への関心が高く、室内と室外のちがいを幼少のころから意識してきたと言います。 「室内」とは具体的な空間を指すのみならず、想像や妄想を生み出し、記憶の貯蔵庫をも象徴する存在であり、対する「室外」は体の外にあって自己の内側に絶えず働きかけてくる外界を表します。 12の短編は身近なエピソードからはじまりますが、どれも小さな謎が埋め込まれていて、ミステリーのような味わいがあります。また、小説かエッセイかという枠組みを超えて別の時空へと飛躍する手法は、彼女の代表作『図鑑少年』の延長上にあるもので、読者を架空の「室内」へと誘うでしょう。 生命エネルギーは「室内」と「室外」の往還により支えられているという認識は、彼女のすべての著作に通底します。外出自粛令が出で、だれもが両者の境界を意識せざるを得なくなったコロナ禍において、本書のテーマはより多くの読者にシンパシーをもって受けとめられるものでしょう。
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超二流の写真家 『センチメンタルな旅』から五十年を生きる荒木経惟
¥990
SOLD OUT
『超二流の写真家 『センチメンタルな旅』から五十年を生きる荒木経惟』 大竹昭子 文庫判、80ページ カタリココ・発行 編集協力 大林えり子(ポポタム) 写真提供 アートスペースAM、タカ・イシイギャラリー 装幀 横山 雄+大橋悠治(BOOTLEG) 出版社プレスリリースより 副題に「『センチメンタルな旅』から五十年を生きる荒木経惟」とあるように、荒木経惟の写真の神髄を『センチメンタルな旅』から説きおこしていくという内容です。 著者がこの原稿を執筆するきかっけは、二〇一六年にパリのギメ美術館でおこなわれた「ARAKI」展を見たことで、通常とはちがう一風変わった展示構成に大きな刺激を受けました。 『センチメンタルな旅』から現在までをたどっていった観客が最後の部屋で大きな仏像に出会うという、荒木の作品に仏教的な死生観が流れていることを意識させる構成でした。 このギメ展は、同時多発テロの影響でパリの美術館の入場者が軒並み減っているにもかかわらず、若い人々の反響が大きかったことが話題になりました。生と死がひとつづきのものとしてとらえられていることが共感を呼んだのでした。 本書では、このギメ美術館の展示をたどりつつ、荒木の写真の生命賛歌を、ドキュメントと評論を行き来する著者独特のスタイルで展開いたします。 タイトルの「超二流」という言葉は、かつて著者が荒木におこなったインタビューのなかで、彼が自分ついて述べたものです。芸術は自己表現だが、写真表現は相手を写しだすものだから「二流」だという意味ですが、その考えをはじめて形にしたのが、妻陽子との新婚旅行を写した『センチメンタルな旅』であり、旅行中の出来事や風景を淡々と写して一冊にしたのです。戦後写真のもっとも大きな成果のひとつであるこの写真集を、刊行から五十年目に見直してみたいと思います。巻末には、片目の視力を失しながらも日々、写真を撮り続けている荒木の現在をインタビューでお伝えし、荒木の八十一歳の誕生日である五月二十五日に発売いたします。