スタンダードブックストア
〒543-0056 大阪市天王寺区堀越町8-16
TENNOJI BASE
TEL 06-6796-8933 火曜定休
-
奥山由之『Girl』
¥3,850
SOLD OUT
『Girl』 奥山由之 220mm × 290mm 上製 80ページ デザイン:尾原史和 発売日:2019年9月14日 印刷・製本:太陽印刷工業 色や音、匂い、温度。安らぎと焦りと。乾き、悲しみ。光と陰。 心の浮遊。気持ちの揺らぎ。 どこまでも続く、緩やかな憂鬱。 思い出せるけど見えない、記憶の記録。 確か、こんな感じだった。 ー奥山由之
-
奥山由之『The Good Side』ブルー表紙
¥38,500
SOLD OUT
『The Good Side|グッドサイド』 Yoshiyuki Okuyama|奥山由之 ※未開封です。 タテ219mm × ヨコ167mm 208ページ、ハードカバー サイン入りCプリント(130mm X 180mm)付き ブックデザイン Kummer & Hermann 出版社 Editions Bessard 「奥山由之さんと平野紗季子さんの新婚旅行時に撮影されたものです。」
-
【古書】Los Angeles/San Francisco|奥山由之
¥22,000
『Los Angeles/San Francisco』 奥山由之 ※未開封の古書です。 288mm × 266mm 128ページ Union Publishing Limited タイトル銀箔押し、クロス張りハードカーバー 2018年12月13日発売 Union Magazineを出版する、Union Publishing Limitedから初の写真集プロジェクト第一弾として写真家・奥山由 之氏の写真集『Los Angeles/San Francisco』が発売となります。ロサンゼルスとサンフランシスコを共に旅し、彼 のレンズを通して見えた何気ない日常はまたこれまでの作品と違った新しい一面をご覧いただけるかと思います。 プロローグより どこでも良かったのだけれど、こうして撮ってみると、どこでも良くはなかった と思える。ロサンゼルスとサン フランシスコは、光があまりに澄んでいて、最高品質のサンセットは、ありとあらゆるものを瑞々しく輝かせ、僕 の目の解像度をいつだって振り出しに戻したのだから。大変な街だった。(奥山由之)
-
Ton! Tan! Pan! Don! | 奥山由之
¥2,750
SOLD OUT
『Ton! Tan! Pan! Don!』 奥山由之 縦257mm × 横182mm 本文32ページ/写真点数 : 23点 並製本糸中綴じ 限定700部(サイン・エディションナンバー入り) デザイン : 町口景 編集・川田洋平 発行人・造本設計 : 町口覚 2020 年晩秋の某日、奥山はとある雑誌の撮影で多摩川を訪れていました。 その撮影の空き時間、わずか数分のあいだに切り取られた23のイメージには、 辺りを染める夕日の中、躍動する二人の姿だけが収められていました。
-
家族と一年誌「家族」 第二号
¥2,310
『家族と一年誌「家族」』第二号 200mm × 270mm 100ページ 2019年1月14日発売 クリエティブ・ディレクター:中村俵太 編集長:中村暁野 編集補助:中村花種、中村樹根 編集:梶山ひろみ アートディレクター:藤田裕美 写真:奥山由之、吉楽洋平 発行所:株式会社HYOTA 家族と一年誌「家族」第二号 の家族は千葉県大多喜市にあるmitosaya薬草園蒸留所を営む江口一家です。お父さんはブックショップ「ユトレヒト」 「TOKYO ART BOOK FAIR」を立ち上げた江口宏志さん、お母さんはイラストレーターとして活躍する山本祐布子さん。住み慣れた東京を離れ家族が選 んだ新たな生き方は、薬草園の資料棟で無理矢理寝食をし、土にまみれ慣れない農作業に勤しむ、蒸留所の開設という道でした。計画や想定からかけ離れた、 挑戦と冒険と日常。そんな家族の姿を創刊号に続き、奥山由之、吉楽洋平という二人の写真家と共に春・夏・秋・冬追いかけました。 実りゆく、人生。 美糸(みと)ちゃんと紗也(さや)ちゃんは3つちがいの仲良し姉妹。ある日、お父さんは仕事をやめて蒸留家になりたいと言い出した。ドイツでの修行、 日本での場所探し、そして、植物が生い茂り果実が実る、古い薬草園との出会い。はじめてのことにお父さんとお母さんが奮闘する横で、乗れなかった自 転車にのれるようになり、知らなかった植物の名前を覚え、二人はすくすく成長していく…。出来あがった蒸留所にお父さんとお母さんは「mitosaya」 と名前をつけた。美糸と紗也と「mitosaya」。ひとつの家族の中で育っていく、ふたつのみとさや。その一年間の物語。 家族と一年誌『家族』とは? 『家族』は一年の歳月を通して一つの家族を取材し、一冊まるごと取り上げる雑誌です。企画・取材・制作も一つの家族が行っており、家族が家族に出会う、 をコンセプトに作っています。変化や決断、今までとこれから。家族に起こる物語を見つめ、雑誌というかたちで表していきます。
-
As the Call, So the Echo
¥4,950
SOLD OUT
『As the Call, So the Echo』 奥山由之 254mm × 220 mm 168ページ 布張り上製本 奥山由之の新作『As the Call, So the Echo』は、2年余りにわたり、ある村で暮らす友人の家族と、その周りの人々の日々の情景を撮りためたシリーズです。 当初は作品として発表する予定ではなく、ただ目のまえの瞬間瞬間に反応し、受け入れ、シャッターを押したものでした。それらは、奥山にとって、ある時から止まってしまった「写真の持つ気配」を、もう一度再生させるきっかけとなったのです。 具体と抽象を行き来し、人々がつくり出すものや、ひとつの命から始まる広がり=球体のような関係性を、豊かな色彩で描き出す本書(4章構成)は、表現者としての奥山の新たな出発点になるとともに、写真の原点ともいえる力を湛えています。 『As the call, So the echo』(呼びかけたから、こだまが返ってきたんだ)── いつだったか、たまたま開いた本で、気になるその字面に目が留まったことからつけられた──というタイトルは、写真家と被写体、写真家と世界との間に交わされる、生命体としてのやりとりを想起させるものでもあります。 人と人とが交わす"何か"による交信を、時間を重層させながら映し出す本書もまた、「音にならない音」が聞こえる瞬間のように、読者に届くことを願っています。 〈As the Call, So the Echo〉は、デビューから6年あまりが経った奥山がしばし立ち止まり、失いかけていた生きることと撮ることの本来的な結びつきを、ひとつひとつ確かめた作品集であるように思える。そもそも、生きることも撮ることも今ここにおいてしかあり得ない。自分がこうして立っている地点以外の〈いつか〉〈どこか〉を生きたり撮ったりすることは、絶対に不可能なのだ。だからこそ彼が探し求めたのは、〈イメージとしての今〉とは異なる、もうひとつの今だった。過去や未来から切り離された幻想としての今ではなく、むしろ過去や未来と手をつないだ〈生きられる今〉だ。 (竹内万里子「生きられる今へ」より)
-
flowers(ポストカード付き)|奥山由之
¥5,500
SOLD OUT
※5月末入荷予定です。→6月頭入荷予定です。 『flowers 』 奥山由之 ※ポストカード付きです。 H261mm × W216mm 152ページ 布貼り、ハードカバー ブックデザイン:葛西薫 安達祐貴 発行:赤々舎 奥山由之が長年撮りつづけたこのシリーズは、亡き祖母が暮らしていた家で撮影されました。この場所をいま自身のアトリエとする奥山は、射し込む光に、庭に揺れる草木に、生前の祖母を偲び、多くはなかった会話をあらためて紡ぐように、花を撮り重ねてきたのです。 80年代に祖父が使用していた110フィルム(ワンテンフィルム)という小さなフィルムを用いて撮影された花々は、部屋のクラシックな意匠やカーテンとも合わさり、花と向き合う自由な視点や角度に引き付けられます。 中でも、窓という絵画的なモチーフを用いて、外部の流動感や瑞々しさと内部のほの暗さを印象づけ、内から外への眼差しや、光の中で花に近づく揺らぎある視点において、祖母と自身とを重ね合わせています。窓に映り込む花と、ここにある花。窓を挟む室内の花と、庭の花。花を撮ることによって無数の対話が交わされます。 その流れのなかに織り込まれるキッチンや書斎、寝室など空間を撮った写真には、異質な視覚が生じています。大判カメラのコンタクトシートや中判カメラ、35ミリ、ポラロイドなど様々なカメラを用い、生前の祖母の視点、亡き祖母の漂う視点、そして自身の視点が現れるようです。 一枚の写真における視線の重なり、そして全編を通じての視点のレイヤーは「flowers」の大きな試みといえるでしょう。 また、一冊のなかに融け合う、古い家族アルバム、祖母と共にあった家や家具、そして今を咲く花という時間軸のグラデーションは、写真のフォーマットや手法においても表出されています。祖母が生きていた時代から存在したフォーマットと、片やコンタクトシートのスキャニングや、映像から静止画へと切り出されたもの。「flowers」の奥行き、眼差しや感覚の混交に、幅のある時間・歴史が息づいています。 本書に登場する花は、フラワークリエイター篠崎恵美(edenworks)さんにより提供された、棄てられてしまうはずだった花々です。 時折登場する花瓶を持つ手、花を差し出す手 ─ 自身であり他者であるだろうその手は、それぞれの記憶に触れるものです。